今は三和町に住んでいます。もともと親が住んでいたところに戻ってきました。戻ってきたのは令和元年ですね。三和町に帰ってくるのを決めたのは、三和町から出たときです。最初から帰ってこようと思っていました。長男というのもあるし、墓もありますしね。転勤族でしたが、57才で早期退職。広島市内に帰ってきて、陸運局のに65才まで勤めたんですよ。その後も働けたのですが父が高齢で、週1回の点滴のため、毎週、三和町に帰ってました。そのうち令和になる前年の11月に入院。ずいぶん悪くて本人は家で死にたいと。医者も間に合わない可能性もあるということで、帰ることを決意して12月に会社を辞めました。そして私たちが三和に帰った2日後に亡くなりました。

三和町に帰るときの不安は特になかったです。都会では地域に入るのは、ものすごく難しい。広島市に住んでたときは、地域の自治会がありましたが、その中ですでに人間関係ができていて、新たにそこに入っていくのは難しい。帰ってきてすぐに、自治会とか「講中」なんかに参加しましたね。草刈りとか、一斉清掃とかも。本格的に帰ってくる前から、週1回は父の病院のことで帰ってきていましたから、近所の人の顔を知ってました。やはり両親がここで暮らしていて、その息子だということで信用があるのかもしれません。あんたんとこのおじさんにお世話になったとか、知らない人が声をかけてくれます。

帰ってきて困ったことは、暮らす部屋がなかったこと。おばあさんが使っていなかった6畳間を私たちの部屋にして、ぜんぶ荷物を入れて暮らしていました。物が多かったので、古い家財道具をかなり処分したんですよ。病院は、子どもの頃から津島医院です。佐々木歯科もあって助かってます。 田畑は荒れ放題で近所に迷惑をかけたくないので、草刈りと害獣が入らないように柵もしました。きれいにして、誰かに借りてもらえればと思ってました。そうしたらキャベツを作りたいと、借りてもらえました。でも水はけがあまり良くないんでね。いつまで借りてもらえるかわかりません。そもそも農業はやるつもりはなかったです。米も野菜も作るより買った方がいいと思ってます。買う生活に慣れてしまってますからね。あとはお墓の手入れですね。お墓は山の上から下におろしているんですけど、草刈りが大変。草刈りといえば、田んぼが耕作放棄地になっていて、草だらけです。ほっといても迷惑になることはないとは思うんですけど、ただ名義がずっと残るので、それが問題です。家に関して特に不自由はないかな。両親は小さいけどトイレを二つ作ってくれていて、エアコンも付け、風呂もきれいに作り直してくれてました。母屋は古いんですけど、建て増したところはまだ築10何年です。いずれ帰ると言っていたので、私たちが帰る前提で家を改築してくれたのだと思います。

三和町に戻ってきてよかったなって思うことは、近所の人が「細美」という名前を知ってくれていたことです。だからすんなりと地元に入れた。三和町に移住を考えている人への助言は、私は受け入れられるだろうかとか、自分の中で壁を作らないでほしいです。怖がる必要はないです。私はここに住みたいんだという気持ちを押し出せばいいと思います。そうすれば相手も受け入れてくれると思います。来たら何とかなると思います。

私は広島市出身で夫とはお見合いで結婚です。最初に三和町に嫁いできたとき、家から川の向こうが全部見えて景色がよくていいと思ったのが敷名の第1印象です。その後は夫の仕事が金融機関で転勤が多く、色々なところで暮らしました。こちらに帰ってきてすぐにおじいちゃんが亡くなりました。そのとき、お葬式などどうしたらいいか分からなかったけど、ぜんぶ「講中」の人がしてくださったんです。そのあと、講中のつながりがいろんな活動に広がっていきました。ある意味おじいちゃんが2日で亡くなったことが、私を家の外に出してくれる後押しになったと思います。講中のおかげで「田舎デビュー」が早くできたんですね。おばあちゃんとの3人暮らしが大変でした。おばあちゃんがずっと住んでた家に私らが入るわけだから、おばあちゃんの生活にこちらが合わしました。今後、家のリフォームをしたい反面、もったいないなあとも思います。私たちのあとここに住む人はいないだろうし。70代の私たちも住んでもあと10年くらいでしょう。金銭的な問題もあるし、今はそんなに不自由していないですし。転勤族だったので、新しい土地に移るのは違和感が少ない。これから三和町に移住を検討する方にアドバイスするなら、あんまり考えすぎないほうがいいと思います。

令和6年3月現在